フェイジョアの花が咲きました。
銀色の葉っぱの間に、不思議な雰囲気の赤い花がのぞいています。
ピアノのレッスンの目的とは何でしょうか?
♩ピアノが上手に弾けるようになること。
♩楽譜を読めるようになること。
♩音楽を楽しむこと。
♩コンクール、音大を受けること。
など、目的は一人一人違いますね。
そして、時と共に変わっていくかも知れませんが、その時点での目標は、ある程度はっきりさせておく方がいいかも知れません。
専門的に学びたい、◯◯を受けたい、という場合はより高いものが要求されますし、この学年ならこの位のものを、という目安もあると思います。
そんな時は、特に教える側にも力が入りがちかも知れません。
でも、“教える側の責任はどこまでか” 、ということを常に考えることが大事だと思うようになりました。
レッスンでは色々なアドバイスをします。そして、生徒さんはそれを家に持ち帰って練習し、また次のレッスンに来られます。
この時、家でどのように練習するか、どの位練習するかによって、進み方は大きく違ってきます。
教える側にできること、責任を持てる事はどこまでかというと、レッスンの内容や方法を充実させたり、音楽の楽しさをより感じられるように工夫することです。
そして、それを吸収し、レッスンの後どのように練習するかは習う人の「自由」です。
「自由」だからこそ、その結果はその人の「責任」ということになります。
責任の無い自由は無い、とも言えます。
「責任」というのは、「自由」に伴うものだと思います。
だから、自由には、選択する側の成熟も必要だと思いますが、この自由という選択肢を大事にしてこそ教える側も習う側も成長できるのだと思います。
失敗したら、そこから何かを学んでまた進めばいいのだと思います。
決してつき放すという意味ではありません。
教える側が、「どうしても弾けるようにさせなくては」、と思ってしまう必要はない、ということです。
できる限り良いレッスンをし、その先は相手の自由だと考えた方が、伸び伸びした楽しいレッスンになるのではないかと思うのです。
相手に寄り添わない期待、あるいは欲が、自由に伸びる芽を摘んでしまうことの無いよう、適度な「緩衝地帯」をおいて見守ることも必要だと思います。